こんにちは「ゆるりら」です。
先日のゆるりらが「どうかと思う」という意見を書いたところ、読者の方からさまざまな反響がありご意見をいただきました。

まずは、いろんな人がいるということ、そのことを気にかけた皆さんが今一度自分の行いを顧みる機会になったのではないか、それもピースにつながると思うので、「ゆるりら」は自信を持って感じるままに楽しんでほしいという、「ゆるりら」への応援と優しいお言葉。(感謝!)

「あなたは、〇〇さんはそんなことをするような人ではないと信じているから残念に思うのですよ。備品を持ち去る人も、その人は元からそういう人なのだと思えば、腹も立たないのでは。正しい、正しくないで物事を語ると、分断が始まります。」というご意見。さらに、今日のゲッターズ飯田さんのラインメッセージには「他人の過ちを許せない人は、自分の過ちに気づかない場合が多い」とありました。

確かに、他の人から私の行動について「正しくない」と言われたら、悲しいです。法に触れるようなことはしませんが、例えばこの旅行についても、家族を置いて一人で旅に出るなんて主婦としてなっていない、と言われたら悲しくなりますし、余計なお世話と思います。

いろんな人がいてその人なりの旅を楽しんでいるし、残念と思う行動は私がしなければ良いだけです。「正しいか・正しくないか」ではなく「楽しいか・楽しくないか」で判断すると、もっと軽やかになれるのかもしれません。人に期待をしないこと、その人はそれが普通で生きていると知ること、それが自分が嫌な気持ちにならない最善の方法かもしれません。

ただ、「それって、どうなのかな。」と感じた心は大切にしたい。批判や悲しさとしてではなく、人の世の面白さや切なさとして私の気づきを言葉にしたい。それがこのNoteの場であり、この場に感謝しています。

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