こんにちは「ゆるりら」です。

今回、ヒーリングについて学ぶため、京都に行ってきました。今日ここで得たのは、ヒーリング技術ということだけでなく、「なぜ私がヒーリングを学ばなくてはならないのか」という、心の核心に近づく体験でした。

講座の内容にもかかわるため詳しくは述べませんが、私は自分の母親との関係に、つまずきがあったということがわかりました。そして、「私が母をヒーリングさせてもらう」という行為を通して、言葉ではなく心で、私自身の癒しが起こっていくのだと学びました。

実は、今日の講習に行くのをためらっていました。何か怖いことが起こるのではないかという不安があったのです。なかなか寝つけませんでしたし、前回から今回まで、なぜかこのヒーリングについて学びを深める気持ちになれませんでした。「パンドラの箱を開けるのが怖い」──そんな気持ちでした。

母はSNSを見る人ではないので、思い切ってここで話します。私も頭では十分わかっています。若い母がどんなに苦労して私を育ててくれたか。母の母(私の祖母)との関係も大変だった。明るく元気でキラキラオーラの母が、理屈っぽく暗い私を育てにくく、可愛くて面白くて元気な妹の方がキャラが合っていたことも、よくわかります。もちろん、表面上はとても仲良く暮らしていますし、いつも楽しく会話もしています。母の生活は私たちが保護していますし、旅行にも連れていきます。

皆さんの中にも、孫ができるような年齢になっても、なお実親との心の関係に苦しんでいる方がいるのではないでしょうか。生活が貧しく苦しい時代だったら、「そんな赤ちゃんぽいことが苦しいなんて」と笑われるのかもしれません。でも、現代は豊かになり、親の人生も長くなると、心の奥に残っていた棘に気づくのです。

ヒーリングで母を癒すことで、何十年もの漬物石のような行き違いが溶けると信じるのは、少し安易かもしれません。残りの人生もお互い限られている中で、あの親に「あの時のことを謝ってほしい」なんて言ったら、烈火のように怒り出すに決まっています。そんなことはできませんし、新しい何かを学んでもらうのは、もう難しいでしょう。変わらないか、少し遠ざかるかもしれません。こちらだって、時間も資金も限られている中、これからあれこれヒーリングワークを学び直すのは敷居が高い。だからこそ、今この手の中にある「ヒーリング」の手技で、できるところまでやってみようと思いました。

スピリチュアル・サーファーのように、あちこちを覗いて回るのではなく、今ここにあるものを信じて、まずは深めてみたい。哲学的な意味だけでなく、時間やお金のコストを考えた結果でもあります。

身近な人間関係が一番重く、だからこそそこが解決すると、オセロのように他のことも一気に解決していく──と、今日学びました。まだ半信半疑ですが、気楽に進んでみます。何にも変わらなくても、今とおんなじなんですから。

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