こんにちは、ゆるりらです。このブログは広告など一切掲載しておりません。

山下達郎さんのツアーに当選しました!今やプラチナチケットとなっており、最高の気持ちです。山下達郎さんへの愛を語りだすと長い間の複雑な思いが重なり、一言では言い切れない思いになります。昔から、なぜか達郎さんは敷居が高い人のように感じて、それ以降、華やかな活躍をしている達郎さんを遠い存在、都会的な大スターと捉え、曲を購入する気持ちにはなれませんでした。

2019年3月、車の中で達郎さんのサンデー・ソングブック(サンソン)に出会いました。初めは山下達郎さんだとは思いませんでした。私が勝手に抱いていたイメージとは違い、楽曲やアーティストに関するお話が理系のこだわりを持った方のようで、選曲も私の好みに合っていました。すごく楽しく、毎回聞きたくてラジコにも入りました。その時期はちょうどコロナが始まり、テレビやネットから何が本当なのか分からない情報が飛び交い、不安な日々が続いていました。

サンソンの中での達郎さんはとても穏やかで、医療従事者の方々やリスナーひとりひとりを思いやり、みんなを信じて励ましてくださいました。私は「メディアの中で信用できるのは達郎さんのサンソンだけ」と思うようになりました。都会にいる子供たちが心配でしたが、達郎さんが毎週声を届けてくださり、時にはご自宅から「自宅アカペラ」なるものまで考案してくださって、放送の灯を絶やさないようにしてくださったことが、どれほど心の支えになったかわかりません。その後も各地で災害が起きると、いち早くお見舞いの言葉を述べてくださり、日本の津々浦々を愛していることが伝わってきました。

ある日、地震を知って後からお見舞いの言葉を挿入されたのでしょうか、最初の一呼吸、吸った息の音で沈痛の思いが感じられ、すぐにお見舞いの言葉だとわかりました。何度も災害や地震がありましたが、達郎さんにどれだけ励まされ、勇気づけられたか、感謝でいっぱいです。コロナの中で、もっと発信したいこともあったと思いますが、「一介のミュージシャンだから」と立ち位置を崩さず、「隣人に思いやりを」「ちょっとした粋な計らいを周りに」「冷静に」と、私たちがすべきことを示してくれました。それも毎週です。すごく心強かったです。番組で紹介される皆さんのお葉書も、心の支えになりました。私も毎週心の中で達郎さんにハガキを書いていましたが、実際にハガキを出す行動には移せませんでした。

ある日、サンソンで「悲しみのジョディ」がかかった時、車の運転中に胸が震え、涙が流れて止まりませんでした。達郎さんの楽曲には、その時代の自分の悲しみが重なっていました。私が達郎さんを遠ざけていた理由も分かりました。

サンソンを聴く中で、達郎さんのお人柄に対する私の偏見は矯正されました。達郎さんが等身大の市井の人々を愛して、サンソンの中での思いやりのあるお言葉に触れて、素敵な方だと再認識していました。サンソンで特に好きな企画が奥様との夫婦放談です。大スターの竹内まりやさんとご結婚されていることでも相当敷居の高い方だと思っていましたが、実際のお二人の様子があまりにも素敵で、毎回癒され、元気をもらっていました。

昨年思い切ってライブに参加してみたいと思い、偶然にも当選し、双眼鏡でギターの手元や達郎さんの表情を見て、すごく感動しながら参加しました。素晴らしい声、歌唱力、リズム、ギター、キーボード、3時間近く全く休憩なしで歌い続け、弾き続けるその姿はまさに「神!」と思いました。すごく大きく見えました。オーラがあるからだと思います。すぐ近くにいるように感じました。最後のアンプなしの生声は神様の声そのもので、心から癒されました。私は、途中で泣いていました。

サンソンを毎週聞いていて勝手に親戚の人のように親しく感じていましたが、実際は「神」でした。よくサンソンで「ツアーが終わりました。うまくいってるはずです」とおっしゃいますが、「うまく」のレベルがこれほど高いものだとは!時々ライブ音源も聴いていましたが、生を聞くとド迫力を感じ、生きたパワースポットと感じました。歌が素晴らしいのはもちろんですが、生演奏もご自身であんなに演奏されるなんて、知りませんでした。

この舞台は、どの瞬間も一流の血が騒ぐロックであり、オペラ、クラシック、職人技の伝統工芸、美しい建築、舞台芸術、耐久スポーツ、歌詞の言霊、命そのものを取り出して形にしてこちらの心臓にドカンと届けるまさに「ライブ」でした。

若いころは、ソリッドスライダーとボンバーが好きでした。高気圧ガールではなかった当時の私は、このカッコよさが大好きだったことを思い出しました。本当は昔から大好きだったくせに、もっと早くから達郎さんのライブに行くべきだったのです。昨年思い切って参加し、生きていて良かったと思っています。すべてに愛を感じました。ステージにいても一人一人をきっと見てくださっているのでしょう。一人一人が背負ってきた人生や命を大切に思ってくださるのが、良くわかりました。

最後に、私の大好きな言葉をおっしゃっていました。最近は世界がざわざわしている、自分は一介のミュージシャンだから何かを言うことはできないけれど、ここに来てくれた皆さんは、思いやりを持って隣の人に接してほしい、と。いつもこの言葉を聞くと勇気づけられ、愛を感じます。自分はすごいことはできないけど、社会の中でちょっとした粋な計らいがさりげなくできる人になりたいと思いますし、また逆に他人が期待する姿に自分を寄せなくても、自分の魂の声に正直に生きてみたいと思えました。

とにかく、とんでもなくすごいライブでした。私のように、その曲の流行った時代の感情を丸ごと腹の底から思い出すのが怖くて逃げていた人間も、その時代の私ごと癒してもらえました。今回のライブを体験し、思い出した自分の感情にも「いい子だったね」と、自分で言ってあげられて、薄皮をはぐように過去を書き換えることができつつあります。

昨年70歳になられた達郎さんの凄さに触れ、最後は「ありがとー!ありがとー!」と叫んでいました。ライブに向かっての日々は、恋をしてデートの日が迫り、時間が迫る時の息苦しさでした。まさに恋心でした。そして、想像を超えるパワフルなライブで、魂を射抜かれました。達郎さんが歌ってくださったクリスマスソング、「思い出してね」と手を合わせておどけてくださった姿が、とってもチャーミングでした。

毎年少し胸が痛みながら聴いていたクリスマス・イヴが、昨年は違って聞こえました。今年のライブも、また「パワースポット」に行きます!

ゆるりらサロンを開業することができたら、音楽は達郎さんやまりやさんの音楽を優しく流してみたいと思います。お二人の楽曲には愛があります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA