こんにちは、「ゆるりら」です。このブログは広告等を掲載しておりませんので、安心してお読みください。
今回はクリント・イーストウッド監督・主演の映画『グラン・トリノ』についてお話ししたいと思います。この作品が公開されたとき、イーストウッドはすでに78歳でした。彼のファンの方には申し訳ないのですが、映画を見ていると彼が私の父に似ていると感じてしまいました。
私の父も、頑固で手先が器用でした。自分の修理工場を持ち、工具を美しく揃えて、どんなものでも修理していました。その姿や鼻筋の通った顔立ちが、映画の中のイーストウッドと重なります。父が他界した年齢も、ちょうどイーストウッドがこの映画で演じていた年齢と近く、そのためか特に感情移入してしまいました。
もちろん、日本人の父と映画俳優のイーストウッドのスタイルは違うのですが、父も頑固で、仕事に対しての真剣さは共通していました。父は戦争に行ったわけではなく、映画のように男同士でこんなに悪態をつくことはありませんでしたが、何でも直したり作ってくれた手先の器用さや、道具を大切にする職人魂がどこか似ていました。
映画を見ながら、登場人物の誰にも気持ちを完全に移入することができず、ただ父のような気持ちで見守るばかりでした。特に、孫娘が主人公に対する態度には、腹立たしさを感じることが多かったです。わが父は孫を可愛がり、孫にとっても愛されていたので、この家の孫娘の態度にはがっかりさせられました。
戦争の影響で心に深い傷を負った主人公ウォルトが、隣人の家に簡単に入り込み、異国の料理を楽しんでいる姿には、父との違いを感じ、ウォルトの柔軟さに驚かされました。父ならば、そんなことは到底できないだろうと感じました。
また、隣人の若い女性を助けたりするウォルトの行動にも、日本人の父親なら恥ずかしがってそんなことはしないだろうと感じました。ウォルトが道具袋を買ってあげるシーンでは、父が生きていた頃を思い出し、涙がこぼれました。男同士の絆や愛情深い姿が描かれていて、とても感動しました。
映画のラストも、クリント・イーストウッドらしい劇的な展開でした。日本ではあまり見られないような終わり方でしたが、それがまた映画としての魅力を増していました。
さて、そもそも、本当にこんなに頑固で良いのでしょうか。映画の中では、ウォルトの頑固さが強調されていますが、現実にこんなに頑固でいることがかっこいいのか、疑問に思います。脳の病気で(例えば認知症などで)病的に易怒性(いどせい)が高まり、頑固や意地悪が増えることはあるかもしれません。病気でもないのにこんなに頑固で、宗教家にも悪態をつき、家族とのコミュニケーションもうまくいかず、孤立してしまうのは悲しいことです。
戦争の影がウォルトの心に暗い影を落としていたかもしれませんが、それでも幸せに生きることの大切さを感じます。日本では、我々の親の代、我々世代、子供世代と、おかげさまで3世代の20代男性が戦争に行くことはありませんでした。親世代はまだ戦争の影がある社会を生き抜いたのですが、それでも楽しく幸せな社会に生きることができました。こんなに幸せな日本に生まれ育った私たちは、明るく幸せに生きていなくてはならないのです。
私たちは、戦争を知らない世代として、明るく幸せに生きることが義務であると感じます。頑固さや意地悪、悪意のある言葉や不機嫌を人にぶつけることは避けるべきです。「ゆるりら」サロンでは、明るく楽しい生活を送ることの重要性を伝えていきたいと思います。不機嫌をまき散らす人は周囲に迷惑をかけるだけです。まずは自分自身が明るく楽しく生きることを心がけ、その姿を通じて他の人にも幸せを広めていきたいと思います。
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