こんにちは「ゆるりら」です。
最近、ネットフリックスのドラマを見ていて、妙に気になる場面がありました。
ある会社の株を巡って敵対する二つの勢力が、臨時株主総会の前に“味方集め”に奔走するシーンです。双方がある株主の女性とどうしても連絡が取れず、「きっと総会には来ないだろう」と判断するのですが、その女性こそ、夫から株を相続したという、当初から登場している“超重要人物の妻”。名前も住所もわかっているはずで、敵味方どちらも気づかないわけがないのです。見ていて思わず「それは、さすがに気づくでしょう?」と突っ込んでしまいました。
別の日には「名探偵コナン」。夜の病院に忍び込んだ犯人を、毛利のおじさんとコナン君がカーテン裏で待ち構えている、あの定番の構図です。毛利探偵のなぞ解きを犯人を含めみんなで聞いていると、犯人が“殺したと思っていた相手”が生きていると知って驚くのですが、そこでまたふと気づきました。「え? 生きているって思ったから病院に様子を見に来た(そして手に掛けようとした)んじゃないの?」と。ほんの小さな矛盾が、なぜか気になってしまうのです。
NHKの朝ドラも、張り切って見始めたのに途中でやめてしまいました。どうしても受け入れられない表現があって、朝の大切な時間を“我慢して”まで見続ける気がしなかったからです。以前は「朝ドラから始まる朝」なんて題名でNoteにも書いていましたが、今はそっと閉じました。
こういう細かいところが気になる性格なので、ドラマや小説は時代物のほうが合っているのかもしれません。江戸時代の本当のところなんて誰にもわかりませんしね。それでも大河は、合う作品と合わない作品がある。野球も、日本の試合はもう観ていません。
海外旅行も、しばらくはもういいかな、と感じています。大谷君のドジャースが優勝して、こちらも大団円。私自身は仕事を辞め、子供たちはそれぞれ活躍し、孫もいない。そんな私が今、一番楽しみにしているのが――今日から始まる大相撲です。
大の里関を応援しています。毎日、またドキドキが始まりますね。相撲ファンの皆さん、今場所も楽しみましょう。

