こんにちは、「ゆるりら」です。

相国寺展を見に行きました。相国寺は十四世紀末、室町幕府三代将軍の足利義満によって創建され、幾度も焼失と復興を繰り返しましたが、現存する法堂は一六〇五年に再建された日本最古の法堂建築です(HPより)。今回の展覧会で「伊藤若冲」の作品があると知り、興味を持ちました。若冲の襖絵は水墨画で、私が想像していたカラフルな作品とは異なりましたが、洒脱で趣のあるものでした。

お坊さんの肖像画が多く並ぶ中私が思わず「あっ!」と声を漏らしてしまった作品がありました。それが「十牛図」でした。本物にここで出会えるとはまったく予想しておらず、驚きでした。

十牛図について

「十牛図(じゅうぎゅうず)」は、禅宗の修行過程を牛にたとえて示した10枚の絵で、悟りへの道を表現しています。以下にその各段階の一般的な説明をします(諸説あり)さらに、その下に「ゆるりら」なりの解釈を書きました。長くなりますがご容赦ください。

  1. 尋牛(じんぎゅう):真理を求める旅が始まります。迷いの中で牛(自分自身)を探す過程です。
  2. 見跡(けんせき):牛の足跡を見つけ、正しい道に進み始める段階です。
  3. 見牛(けんぎゅう):ついに牛の姿を捉え、真理の一端に触れる瞬間です。
  4. 得牛(とくぎゅう):牛を捕まえ、欲望や迷いを制御し始めることを意味します。
  5. 牧牛(ぼくぎゅう):牛を手懐け、心の調和を進める段階です。
  6. 騎牛帰家(きぎゅうきか):牛に乗って家に帰り、心の平和に達することを象徴します。
  7. 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん):牛が消え、自分だけが残り、自己と世界が一体となる境地です。
  8. 人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう):牛も自分も忘れ、完全な自由に至ります。
  9. 返本還源(へんぽんかんげん):無我の境地に至り、すべてが空(くう)であることを悟ります。
  10. 入鄽垂手(にってんすいしゅ):悟りを得た者が世俗に戻り、人々を助ける段階です。

私は十年以上前に、瞑想に興味を持っていた頃、この「十牛図」について考えました。以下は私自身の解釈です。

十牛図に対する私の解釈

  1. 尋牛(じんぎゅう): 自分とは一体何か、何を望んでいるのかを知りたくなる。人生の中で、自分が本当に求めているものや、究極の望みを探し始める段階です。
  2. 見跡(けんせき): 自分の思考の癖や悩み、本当の願いの手がかりを見つけ始める。腹が立つ場面や嫌な気持ちが糸口になることがあり、その時に「自分」と「勝手に進んでしまう頭の中の考え」が別物に感じられます。
  3. 見牛(けんぎゅう): 思考は、私を幸せにするために色々なことを考えている。悩みですら、実は幸せを求めてのことかもしれません。ただ、その「牛」は勝手に頭の中を踏み荒らしてしまうこともある。でも、それもまた、私の欲望に応じて動いているからこそで、まずはどんな欲があるのかを見極めることが大切なのかもしれません。
  4. 得牛(とくぎゅう): 思考のパターンを観察していると、その背景にあるものが見えてきます。たとえば、子どもの頃の経験や、周りからの影響が、現在の思考パターンにどう影響しているのかがわかってくる。この「牛」は、自分を守るために、時には暴れたりもしていたのだと気づかされます。
  5. 牧牛(ぼくぎゅう): 牛(欲)を手なずけようとすると、思わぬ抵抗が出てきます。人のせいにしたり、逃避したりしてしまうこともあります。その「牛」を扱うには、たとえばレイキヒーリングのような方法が役立つことがあります。自動反応的な行動や感情をコントロールする段階です。
  6. 騎牛帰家(きぎゅうきか): 私はまだ、完全に牛を連れて家に帰る境地には達していませんが、ここからが真の修行なのだと感じています。欲を素早く見つけ、仲良く家に帰るような心の状態を目指しています。
  7. 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん): 思考の動きを自在にコントロールできるようになれば、欲を手放すことができるのかもしれません。身体と命を守るための「牛」に振り回されることなく、本来の自分が伸び伸びと生きられる境地です。
  8. 人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう): 自分も世界も消えたような状態になるのがこの段階でしょう。すべてが調和し、真の悟りに近づくのかもしれません。
  9. 返本還源(へんぽんかんげん): 悟りを得た人は、ただ「普通に戻った」だけだとも言えるかもしれません。特別なことではなく、本来の自分の姿に還るということでしょうか。
  10. 入鄽垂手(にってんすいしゅ): 悟りを得た人は、自分の幸せにとどまらず、そのエネルギーで人々を助ける存在となります。自分の欲を超えて、人々のために活動する人です。

私自身は悟りには程遠いですが、この十牛図は私にとって大切な心の指針でした。今回の展覧会で、本物の十牛図に出会えたことは、私にとって特別な体験でした。

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