こんにちは、「ゆるりら」です。このブログは広告などを掲載しておりませんので、安心してお読みください。

大学やその延長の仕事などで、社会人でも論文に携わる方は多いと思います。自分の考えを論文にまとめ、練り上げる作業はとても大変です。

昔々、某「ゆるりら」らしき人が、仕事で配置転換になりました。心を込めて仕事を行い、「ゆるりら」なりにアイデアを出して工夫したこともたくさんあり、楽しく仕事をしてきました。後任者は明るく利発な方で、安心して任せることができると、引き継ぎました。

後任者はとても優秀で、「ゆるりら」から引き継いだ仕事をきちんと論文にまとめ、その論文が賞に入選しました。素晴らしいことです。「ゆるりら」は地道な現場仕事はできますが、論文にまとめるなんてとても無理でした。論文の中身を読みましたが、ゆるりらのやっていたことをきちんと引き継いでいてくれて、本当に感激しましたので、すぐにメールを送りました。「おめでとう!素晴らしい!大変だったでしょう?すごいことですね!」と。

相手からもすぐに電話がありました。「ゆるりらさんの仕事を引き継いで、そのままやり、それを書いただけなんです。先輩のおかげです。」と感謝を述べてくれました。ゆるりらもその論文を読んで、やってきたことがわかりやすくまとめられていることに誇らしさを感じました。「ゆるりら」の実践が人々の中に浸透していくことで、少しでも現場が良くなればと嬉しく思いました。

後日、その論文の発表会がありました。大きなホールでの発表会で、「ゆるりら」はこっそりとお花を渡そうと準備していました。一番前の席で、その発表を楽しみにしていました。さて、お目当ての発表が始まると、「ゆるりら」は自分の顔から血の気が引くのを感じました。その発表では「この仕事は、自分が着任した時に、自ら考えて行った。」「前に行っていたことは全部やり直して、新しく開発した。」という話になっているではありませんか。発表を聞きに来ていた周りの方は皆同業者です。「ゆるりら」は、「この論文のもとになっている仕事は、前任のゆるりらさんの仕事です。」と言ってもらえるとばかり思っていました。その人の電話をうのみにして信じていたのです。

お花が無駄になったことは言うまでもありません。

その後も同業者なので、その方に会うこともありましたが、その方はいつもにこやかに挨拶してくれるので、こちらもにこやかに挨拶をしていました。「ゆるりら」の気持ちなどは、気にしていないようでした。表面的にはにこやかに接していても、内心ではやはり悔しさを感じることもありましたが、長い時間が過ぎてみるとそこから学ぶことも多かったと今は思っています。

ここでの論文はとても簡単なもので、人類の未来にかかわる発見でも、未知の発見でもありません。こんな小さな論文でさえ、傷つく人がいるのです。そう思うと、大きな論文や権威ある賞だったとしたら、どれだけ闇が深いことでしょう。大学教授の助手が作成した論文を教授の名前で出したことによる殺人ミステリーなんて、よくあるストーリーです。

それにしても、「論文をまとめる」というのはすごい労力ですし、才能が必要です。少しばかり悔しがったところで、「ゆるりら」には勝ち目などないことはわかりきっていました。実際は脱帽でした。そんなこともあり、それからは同じ土俵に上がらないことを強く誓い、こっそり現役を去りました。

将来の「ゆるりら」サロンについて、まだ夢ですがお話しします。リラックスとゆったりとした、心落ち着ける空間にしたいと思っています。現役で働いている方や、大学に残って研究されている方などは、論文について苦い思い出があるかもしれません。「光があれば影がある」(ドラマ「アンメット」光は自分の中にある)でも話した通り、どんなに細部に光を当てようとしても、影ができてしまう。そんな時に「自分が光る」ということが大切なのだと。この年になると悔しい思いをしたことも、あれはあれで一つの経験だったと思えます。そして、自分を光らせるのは自分しかいないのだと今なら思えます。遠方などでいらっしゃれない方も、このブログにておくつろぎください。 (サロンはまだ開設していません。また、サロンは女性専用です。)

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