こんにちは、「ゆるりら」です。
朝のやりとり――夫君の“早い”お知らせ
昨夜、妹と話をしていたときのこと。「今日はお墓参りに行ってきたの。姉ちゃんも旅行前に行った方がいいよ」と勧められ、そういえばしばらく行っていなかったなと思い立ち、今朝さっそく出かけることにしました。
朝、仕事に出かける前に夫君がこう言いました。
「今日は飲み会だから夕飯はいらないよ。で、その前に職場の若い子を駅まで迎えに行って、少し家に寄ってから会場に向かうから、送ってくれない?」
「ちょっとでも早く言っておいた方がいいかと思って!」と、何やら得意げな様子。
でも「ちょっとでも早く」が本当なら、せめて昨夜のうちに言ってほしかったなあ。ご飯も炊かずに済んだし、人を迎えるなら片付けの時間も必要ですから。
でも、昨日のブログに「職場の方々にも感謝!」なんて立派なことを書いたばかりだったことを思い出して、ぐっと飲み込みました。
夕飯がいらないというなら…と、送りもかねて、母を誘って外食することに。すると母は大喜び。
お墓での時間――父への声、夢の中の再会
お墓では、父の名を心の中で何度も大声で呼びました。でも、どれだけ呼んでも返事はなく…。
妹の夢にはよく父が出てくるそうです。「いいなあ、夢でもいいからもう一度会いたい」と言うと、妹が笑って「姉ちゃん、お墓参りもしないで外国に行ったら、お父さん怒って夢に出るかもよ!」と。
お墓参り、家の掃除、洗濯、外回りの片付け…いろいろしていると、あっという間に時間は過ぎていきました。夕方に夫が連れてきた青年はとても感じのいい方で、我が家で少しコーヒーを飲んでもらい、なんとなく温かなひとときになりました。
母との食事――思い出話と小さな自由
その後、母と外食へ。父の思い出話をしながら、「きっとお父さんが出てきても、またうるさく叱るんだろうね」と笑い合いました。こうして母と二人、穏やかに食事を楽しめる時代になったことに、しみじみと感謝しています。
親にとって「いい子」でありたくて、ずっと頑張ってきた気がします。墓の中にいる父にも、同居している母にも気を配って、今もこうして母をご機嫌にしている自分がいます。
夢について考える――“変わり者”な私の本心
でももし、今の時代に子供だったら、私はきっと“ちょっと変わった子”で、毎日学校に通うことすら難しかったかもしれません。昔の親はとても厳しくて、家にいるより学校の方がまだマシだと思うくらいでした。
そのまま大人になって、母の「長く続けるように」という言葉を胸に、仕事も長く休まず続けてきました。
でも……去年の流行語ではありませんが、
「もう、ええでしょう。」
誰とも話さず、一日中ダル着でゴロゴロして、本を読んだりゲームをしたり。そんな日々が幸せ。それが、もしかすると“本当の私の夢”だったのかもしれません。


