こんにちは「ゆるりら」です。

【7月7日】本航海の最初の募集では「スエズ運河とパナマ運河を渡る」という触れ込みだったのですが、政情不安によりスエズ運河を断念し、このパナマ運河だけになりました。初日はクリストバル港に入港し、翌日通過します。初日はツアーに参加しました。

英語観光のツアーは午後2時45分集合で、「パナマシティとミラフローレス閘門ショート観光」というコースでした。男性のガイドさんは翻訳機を使って説明をしてくれました。今回翻訳機を使ってのガイドは初めてでしたが、とてもわかりやすかったです。ミラフローレスビジターセンターまでは、結構長い距離がありました。コロン市を通りましたが「治安が悪い」と言われる通り、映画などで犯罪組織の人が逃げ込む街のように、アパートらしき建物も外観から汚れや破損が目立ち、路地はゴミだらけで安定した生活の様子は伺えません。走っている車もボロボロでした。私たちが乗ったバスも、今までツアーで乗ったどのバスよりも古さを感じましたが、他の走っている車と比較すると、ずいぶん立派なバスでした。

運河のための人造湖の横を通りました。この運河を建設するために、二十数個の村が湖の下に沈んだそうです。ミラフローレスビジターセンターまで行きました。このビジターセンターは立派な建物で、清潔感があり、お土産もたくさん売っていました。閘門を通過する船がよく見えるように、競艇場のような形状の観覧席が設けられていました。一番高いところの良い場所はすでにいっぱいだったので、端っこの階段から見ました。ギリギリの幅の閘門の枠の中を船が通り、その枠の中の水位を調節しながら、マスを進んでいくようなやり方です。外国の方も見にきており、一緒に見ていた若い男性は、我々が日本から来たと話すと、「日本には去年行きました。東京、大阪、富士山、に行きました。とても楽しかった。」と笑顔で話してくれました。どの国でも「日本人」だと聞くと、とても良い印象を持ってくれるのか、笑顔で優しく接してくれます。今までの日本人の方の優しさや勤勉さ、日本を訪問してくれた時の日本の方の接し方や、車を含む日本製品の良さを知って、親密な感じを持ってくださったいるのだと思います。皆で通過する船を眺めました。

その後、パナマシティを見ながら、素敵なヨットハーバーで休憩をとり、戻ってきました。パナマシティは遠景でしたが、高層ビルが立ち並ぶ立派な都市でした。交通渋滞にも遭ったので帰りはずいぶん遅くなりました。中南米の荒んだ街の様子と高層ビルの街、港に戻った時に他のツアーの人から、現地の村の人たちの暮らしを体験してきた写真などを見せてもらいました。このような幅広い文化の人たちが近い地域で暮らしている中南米の生活に触れることができました。

【7月8日】実際に本船がパナマ運河を航行する日となりました。朝5時から起きて、日焼け防止の化粧、防寒など外装備をしっかりして、15階の船首に行きました。すでにたくさんの人でしたが、一番前の場所がスッと空いたので、静かにそこに滑り込みました。夜明け前で、運河の両脇の照明が浮かび上がって、私たちの船を待っています。3段階あるゲートの奥がだんだん高くなっているのがよくわかりました。ちょうど日本時間の夕方で、寄港地のWi-Fiも繋げたため、日本の夫君に直接LINEで即時写真を送りながら、徐々に開いていく閘門の様子を伝えました。入って行こうとする我々の船と、向こうからこちらに来ようとする船がすれ違うところでした。3段階の門があり、対向してくる門も3段階あるので、6つの大きなマスの水位を左右で調節しながら、船を渡していました。門が徐々に開いていく様子も、ビデオや写真に撮りながら、日本に伝えました。7時ごろ大雨になってきました。ずぶ濡れにはなりましたが、押すな押すなの人だかりが引いて、雨さえ我慢できれば撮影しやすい状態になりました。事前に髪が濡れないようにフードと帽子で備えていたため、耐えることができました。

無事、最初の閘門を通り抜けることができ、シャワーを浴びて服を手洗いし終えると、船長さんからの放送がかかり、「これから、パナマ運河建設で最も難所だった場所を通る」とのこと。デッキは暑すぎるので、14階のビュッフェに行ってみることにしました。そこで少し運河建設について調べてみると、その場所はとても狭く、入り組んでいることや、当時の技術や資金面での困難、また黄熱病やマラリアでたくさんの技術者や労働者の命が失われたことなどを知りました。今は穏やかな人口湖ですが、その場所を船で渡っていると、当時の技術者や集められた労働者の思いが胸に迫ってきました。また、たたくさんの村が水没したことも併せて、この場所を悠々と渡っている自分だけど、こうしていられるのは多くの命の犠牲の上に渡れるのだと改めて実感しました。普通に見える山の緑は当時も変わらなかったでしょうが、同じようにそれを眺めて病気で亡くなっていったたくさんの人々は、妻や子、父母を思ってどんなに涙を流したことでしょう。私には鎮魂の祈りしかありません。スピリチュアル系ではない自分ですが、苦労の末に亡くなった方々に対して、敬意と感謝と鎮魂の祈りを捧げることを悪く言う人はいないと思います。ピースボートにせっかく乗ってきた自分、小さな鎮魂の祈りと感謝を捧げました。
2つ目の閘門は、7階のデッキで眺めました。すれ違う隣の船がごく近くに見え、迫力がありました。建設の苦労を思うと胸に迫るものがあり、結局、お昼を食べ損ねてしまいました。5階でサンドイッチをもらい、ジンジャーエールを飲みながら、椅子に座って最後のミラフローレス閘門を眺めることにしました。
その席でよく知っている奥さんと出会えたので、今度は5階から眺めました。深く沈んでいく時のコンクリートの壁や、前に動いて鉄の閘門の扉の内側をじっくり眺めることができました。ここは日も射さず、クーラーも効いて席もあり、パナマ運河の内側を眺めることができて絶対におすすめの場所です。しかしながら、今朝の船首からの眺めや、7階デッキからの眺め、そして昨日の外部からの眺めを総合した上でこの場所での眺めがあるので、この内側だけの眺めしか見なかったら、全体の運河の構造はわかりませんでした。また、歴史も少し調べて、建築工法で苦労した方々、きっとお若い人でしょう命を落とした人々の話を聞いてからのこの眺め、それらを総合して分かったことばかりです。世の中の情報もこのようにあらゆる側面から見ないと判断がつかないのでしょう。

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