こんにちは、「ゆるりら」です。

今日は、借りたものの最後まで読めなかった本の話をします。
ほんの少ししか読めていないので、書評と呼べるものではありません。
ご著者の名誉にかけて、「理解が追いつかず、せっかく借りたのに読み進められなかった一読者の独り言」として、拙い文章を連ねることをお許しください。

この本は、「民俗学の視点で」という見出しに強く惹かれて手に取りました。
私自身、民俗学についてはほとんど知識がありませんが、日本人とは何かという問いを求めて全国を歩いた柳田國男氏の名前が最初に挙がっていたことで、興味を持ったのです。

ところが、どこで躓いたのかと言えば、読み始めてすぐ、日本人がこれまでにしてきた「過ち」が次々と語られていく点でした。
原発事故のこと、終戦前後のこと。
どれも事実が淡々と、しかし明快に書かれており、知らなかったことばかりで、「勉強になった」と言うほかありませんでした。
過去の政治家についても触れられており、政治に疎い私にとっては初めて知ることばかりでした。

それでも、読み進めるうちに、胸が詰まるような気持ちになっていきました。
私は、どうすればよかったのだろう。
昭和の時代から四十二年間働き、社会人として日本で生きてきました。
本に書かれているその時代の大部分を、私は「当事者」として過ごしてきたのです。

何もできずに生きてきたことを、反省すべきなのか。
今からでも、何かできることがあるのか。
そもそも、この事実を知ることは、これからの短い人生に本当に必要なのだろうか。
本書に反論の余地はないのか。
日本人には、それほど救いがないのか。
ヨーロッパの国々のように、過去を忘れず、恨みも含めて記憶し続けることは、人として幸せな姿なのだろうか。

エジプトの博物館では「価値ある財宝の多くは大英博物館にある」と聞き、
ギリシャでは「大英博物館は遺跡を返してくれない」と語られ、
モン・サン・ミシェルでは「あそこまでイギリスが攻めてきたが、フランスは勝った」と案内されました。
どの国でも、近隣国との歴史を決して忘れてはいません。

そんなことを考えているうちに、心がどんどん重くなっていきました。
日本人は、あれもだめだった、これもだめだった。
そう突きつけられているように感じてしまったのです。

私には、もうそれほど多くの時間は残されていません。
子育ても終わり、「ゆるりら」には、この本を最後まで受け止める力が残っていませんでした。
理解力の問題もあるでしょう。
著者が厳しく指摘する、「考えない日本人」の一人なのかもしれません。
辛すぎて読めなかったことには、悔しさと、少しの悲しさが残りました。

それでも、今年の目標として「月に十冊は読書をする」と決めました。
いつか、こうした硬派な本もすらすら読めるようになり、
著者の論に対して、たとえ小さくても自分なりの意見を持てるようになりたい。
そんな日が来るかも。

いえ、やはり堅いジャンルは無理かもしれません。読みながらこんなに怯えている「ゆるりら」には。

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