外車のタイヤは、国産車と違って、ボルトで固定されています。ナットで締めるよりも安全性が高いという理由だそうです。しかし、この「ボルトかナットか」という違いだけでなく、日本人の考え方と外国製品の設計には、逆回しの部分が多いように感じます。
例えば、大工道具では、日本のカンナは引く動作で使いますが、海外製品は押して使うカンナが一般的です。また、海外製品のダイヤルの回し方が、日本人の感覚とは逆になることもあります。
時間の考え方にも違いがあります。西洋の時計は、現在私たちが使用しているアナログ時計です。あまり知られていませんが、江戸時代の日本には「和時計」という時計がありました。この時計の特徴は、針が真上を指していて、盤面が動くというものです。
「それがどうしたの?」と思われるかもしれませんが、現代の私たちが時間の流れを考えるときに、過去から未来へと流れているように感じるのは、この「洋時計」の考え方に由来しているのではいか、という考察なのです。明治以前の日本人は、時間を未来から過去へと流れているように感じていたのではないかと。その証拠に、昔のことを「過去」と呼びます。過ぎ去ると書きます。
「え?時間って過去から未来に流れているんじゃないの?」「歴史年表のように、幼児から大人へと成長しているでしょう?」そう感じるかもしれません。しかし、自分が一歩も動いていない時にも、時間は着々と進んでいます。これを考えると、和時計の針のように同じ場所にいる自分に対しても、世の中は動いているのだと考えることができます。
「ゆるりら」では、過ぎ去った時間に縛られている方がいらっしゃるなら、静かにその心を緩めて、リラックスしていただきたいと思っています。過去は、ある一定の力をもって現在のあなたを縛っているかもしれません。過去に親に言われたこと、過去の失敗、過去の恋など。一生懸命生きていても、仕事をしていても、自分のミスから大失敗につながったこともあったかもしれません。
しかし、過去にはあなたを優しく許し、守ってくれた方も存在しています。守ってくれたふるさとや、空の青さも。今この瞬間も、すぐに過去になります。考え方ひとつで、今が瞬時に過去になるのなら、過去に縛られて時を過ごすより、それを手放し許して、リラックスして未来に花束を投げてみませんか。そして、日本人にはそういう考えを受け入れる素地が備わっている気がします。