こんにちは、「ゆるりら」です。
この度の石川県の豪雨災害で被害に遭われた皆さまへ、心からお見舞い申し上げます。最愛のご家族や大切なお住まい、家財を失われた方々、そして孤立している地域の皆さま、どれほどの悲しみやご苦労か、言葉で表すことはできません。今年1月には大きな地震もあり、その上での今回の大雨。同じ日本に住みながら、私たちが日常を送れていることが、どこか申し訳ない気持ちになります。
ある大物政治家の方が「どうして日本の被災者は体育館で雑魚寝を強いられるのか」とおっしゃっていました。イタリアでは、災害発生後数時間でトイレカーやキッチンカーが現場に派遣され、訓練を受けた有償ボランティアの料理人たちが、すぐに温かい食事を提供してくれるそうです。さらに、公共用地にはテントが設置され、家族で一緒に過ごせる空間や、ベッド、空調まで整えられています。防寒着や下着などの支援物資も提供され、子どもたちの遊び場や乳幼児のケアも48時間以内に整備されるとか。
一方で、日本の避難所の現状を振り返ると、体育館を避難所として利用することが一般的です。自治体が運営していますが、その職員も、避難所となった学校の児童や先生も、同じ被災者です。自らも被災しながら、避難所の運営に尽力している自治体職員の方々が「美談」として語られることが多いですが、彼らもまた守られるべき存在です。避難生活が長引けば、学校での子どもたちの学習にも影響が出るでしょう。
キッチンカーで営業している方々には、通常「○○地域のみ」という限定された許可が出ていますが、これを災害時には広げ、一定の訓練を受けた方々に国からの依頼で有償で食事を提供してもらうことができればどうでしょうか。イタリアではそのようにして被災者の方々に美味しく温かい食事が提供され、心身ともに支えられているそうです。温かい食事は、災害に遭った方々の心にも体にも力を与えるものだと思います。
もちろん、プライバシーに配慮された空間やベッド、十分な数の清潔なトイレも欠かせません。非常食や雑魚寝での避難生活、ご高齢の方が床で体が痛かったり、若い女性が着替えを覗かれるような状況や、小さな子どもが騒いで叱られるようなことは、災害の苦しみにさらに追い打ちをかけるもので、あまりに気の毒です。
どうか、日本もイタリアのように、避難所で安心して過ごせる国になってほしいと願っています。そして、今被災されている方々の暮らしや健康が守られることを心から祈っています。
この災害について考え、この文章を書くまで、心の中に葛藤がありました。普通の生活を送りながら、ただテレビで恐ろしい土砂災害を見ていることが、どこか申し訳ない気持ちでいっぱいだったのです。こうして言葉にすることしかできませんが、日本で当たり前とされている避難所の在り方――「学校の体育館に避難」「学校のグラウンドに避難」という形――について、改めて考え直していました。
前述の政治家の方が、日本の避難所の現状を変えてくださることを切に願っています。ある総理大臣が「日本中の学校にエアコンを設置する」と鶴の一声をあげ、あっという間に実現したことがありました。今は、そのような変革を信じるときかもしれません。