こんにちは、「ゆるりら」です。

昔の話ですが、仕事をしていると、さまざまな「厄」を受けることがあります。

今、○○テレビの女性アナウンサーの問題が世間をにぎわせていますが、こうした出来事の背後には、被害を訴えてもかえって訴えた側が不利益を被るという、組織の「組織を守ろうとする力」が働いているのかもしれません。正義や正しさは、時に木の葉のようにもろく、簡単に切り刻まれてしまうものです。

また、「無茶を言った者が勝つ」という理不尽な世界もあります。逆に「あの人は無茶を言う」と認識されると、周囲は腫れ物に触るような扱いをし、その人が非合法すれすれの振る舞いをしていても、なぜか目こぼしされ、時には意外な出世を遂げることすらあります。

こうしたことは、江戸時代からあったのでしょう。私が好きな時代劇や、藤沢周平先生・池波正太郎先生の作品には、汚れた権力者やわがまま放題のお殿様が登場します。その理不尽によって、まじめに生きる人々の人生が、風に吹き飛ばされるように散っていく——そんな悲しい物語に心が痛みます。裏切りや諜報といったものも、なぜか私の心に重くのしかかるのです。

バカリズムさんのドラマ『ブラッシュアップ・ライフ』をご覧になったことはありますか? もしも前世というものがあるなら、私も過去の人生で権力や組織から理不尽な仕打ちを受け、辛い思いをしたのかもしれません。もしくは、それが原因で命を落としたことがあるのかもしれない——そんな思いがふと頭をよぎります。

そう考えると、今世ではもう、そうした理不尽な組織とは距離を置きたいと感じるようになりました。もし、過去の人生の悔いが命題となっていて、今の人生でそのことをやり直し、学びなおすことが運命だったとしたなら、もう十分学びました。戦っても勝てなかったけれど、「ここで終わりにしたい」と、静かに思うのです。

巨大な組織と戦うことも、組織の中で狡猾に立ち回る悪を糾弾することも、私にはできませんでした。しかし、今の若い世代は違うのかもしれません。○○テレビの混乱の真実はわかりませんが、昭和の悪しき慣習が影を落としているとも言われています。その時代を生きてきた者として、確かに世の中の流れが変わりつつあることを感じています。

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